C5696号機 1937年3月15日日本車両名古屋工場に於いて落成。北海道・岩見沢機関区配属。後、苗穂機関区に配属される。1951年、信州・飯山機関区に貸し出しされるも返却されずに定着。1967年上諏訪機関区配属。1971年長野運転所。1973年3月木曽福島機関区配属。入換専用機となる。同年、11月廃車となった。同機は小海線へも貸し出され高原列車牽引にも活躍したそうだ。 廃車後、小海線・野辺山駅前にて静態保存され、また、SLホテルとして利用されたようだが、ホテル運用も廃止された後は荒廃の一途をたどったが、再び整備され、今は屋根付きで保存されている。


飯山線時代の特長。本機はダブルコンプレッサー装備機である。冬季は飯山線独自のスクリーン付き、ツララ切りが装備されていた。

元モデルは「KATOC56小海線」。エンジン部の不要モールドは全て削り取り真鍮・銅・燐青銅線にて作り直した。特徴あるツララ切りは今回、手持ちパーツが無かったため自作した。煙室戸ハンドル・スノープロウはやえもんデザイン製。旋回窓は銀河モデル製。架線注意板等、標識関係は自作。
今回もテンダー標識灯が機関車前進時に点灯するように赤色LEDチップを組み込んでみた。予備コンプレッサーはプラ棒を組み合わせて自作。
非公式側。実機資料を見ながら細々とディテールアップしてみた。細かな配管などは塗装後に行うほうが良いものも多く、組み立て順序を考えているときが楽しい。前輪はラウンドハウスのスポークの抜けたものに交換しています。
キャブ下の配管も実車に於いて異なる事が実に多いです。何もそこまで!的な事もまた多いのですが、出来るだけ忠実に作り込むのも楽しいものです。ただしNゲージとしての限界はありますが・・・。テンダー標識灯もプラ棒と光ファィバーにて自作しています。キャブから覗く防寒カーテンも薄紙で自作してみました。

模型製作 2018年12月

  

  

  

  

 C56のコンパクトながらも充実した機能美には痺れます。何両製作しても飽きないフォルムです。


●製作途中写真
      工作はテンダーから始めていきます。次はキャブです。そして楽しいエンジン部となります。ツララ切りの網目部分は少し目が粗くなりましたが線径0,15mmの燐青銅線にて作りました。最後の写真はわかりにくいですが、後部標識灯点灯の様子です。


●実機写真(当HPリンクのH様「懐かしの飯山線C56」より、画像拝借しました)
  

同氏のHPは、美しい風景の中を、季節を通じて働くC56の素朴さが感じられる構成となっています。


私はC56が大好きです。それこそ何両、加工工作をしても飽きない程です。「KATO C56小海線」という製品が発売されたときから・・もう何両、毒蛾にかけてきたでしょう・・・・。しかし!製品名となっている小海線仕様のものは殆ど無いのです。けして小海線のポニーが嫌いな訳では無いのですが。 それは恐らく製品があまりにも小海線仕様として良く出来ているからなんだと思います。 やはり改造の余地を探してしまうと・・・他の線区で活躍したポニーを選出してしまうのでしょう・・。ポニーと云う愛称で親しまれたのはやはり「小海線」であり、他の線区では単にC56だったのかもしれませんが。ここ、飯山線のC56は小海線貸し出しもあったでしょうが、やはり飯山線仕様であり、冬季には独特のツララ切りにも表現されていました。能登のC56はまた違ったC56でもあったでしょう。
今回は実機は見た事が無いのですが、資料も比較的多くあるこの96号機を選出しました。


  

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