E10形式 1948年(昭和27年)に4110形式の代替機として汽車製造会社により、5輌が製造された。奥羽本線・福島~米沢間の板谷峠の急勾配区間に使用されていた4110形式の老朽化により、全機庭坂機関区に配属された。その後、九州や北陸線勾配区間に於いて使用されたが、最終的には(1954年)全機、米原機関区に転属された。交流区間と直流区間の非電化区間である、米原~田村に於いて使用されたが、本来の目的とは逸する。本当のところ他に運用出来る場所が無かったという事由による。また、僅か5輌という少数であるが故に、保守点検時のパーツ不足等の問題も生じ、結果、1962年(昭和37年)全機廃車となってしまった。ただ、鉄道90周年を記念して、東京の青梅鉄道公園に於いて、2号機が保存されている。本来ならば1号機が望ましかったのであるが、この時、すでに解体されていたので、2号機が選出されたようである。 奥羽本線使用時は急勾配区間のトンネル内を走行するにあたり、煙害を防ぐため、タンク側(後方)が正方向となっている。そのため運転室は右側に存在する。しかし、後に改造された。動輪が5軸あり、日本最大のタンク機関車であった。


E105号機 1948年汽車会社製造。庭坂機関区新製配置。1954年米原機関区。同区に於いて1963年3月30日廃車。



モデルはマイクロエースE105号機(米原機関区)をディテールアップ。一体モールドとなったサイドタンク下のディテールは削り取り、真鍮線等を使って作り直ししてある。ボイラー上も気になるモールドは同様に作り直した。省略されている空気作用管を始めとする配管を銅線で追加。煙室扉ハンドルはタヴァサ製に交換。前輪もワールド工芸製ディスクに交換。また、後部のライトは点灯加工。更に前・後部の標識灯も方向進行によって切り替わるように赤色LEDを組んで発光するように改造してみた。
非公式側。元モデルに綺麗に印刷してある架線注意板や標記をそのまま使用してみたかったので、今回は無塗装で仕上げてみた。ウェザリングは2000番のサンドペーパーで軽くこすって艶消し感を出してみた。製造標記板はレボリューション製。
公式側後部。この機関車は正確に云うとこちらの方が正式走行側とか。でも最終的には改造されたらしい。実機は第3・4動輪がフランジレスとなっているらしい。モデルでは第3動輪のみが表現されている。当初、第4動輪部分もフランジレス加工しようと思ったが、モデルに於いては意味が無いように思い中止した。

モデル製作2018年2月

  

  

  


●製作途中写真
  

後部ライトや標識灯のLED基盤はダイオードや抵抗で作ります。その内部レイアウトに最も気を使います。


●ギミック
 このように標識灯が点灯します。


E10という機関車に関しては全く知識が無かった。ただ、D52形と動径のボイラーを持つという巨大なタンク機関車が存在したという話だけだった。2号機が青梅鉄道公園に保存されているが、この5号機に関しては断片的な資料しか見つからず、製作するのに困難しました。でも実機に出来るだけ近づけてみようと懸命に作ってみました。


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