C50形式 1929年(昭和4年)~1933年(昭和8年)の間に154輌製造された。 8620形式をベースに空気ブレーキと給水加熱器を標準装備して近代化を図ったが、装備が増えた分重量が増して、牽引力は上がったものの、軸重が増大。そのため8620形式程の汎用性に欠けた。 第一線からは早期に後退し、晩年は機関区の入換え作業に従事する事が多かった。
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(JE2DLM様のHPより画像拝借)
●C50形式への想いで
私が蒸気機関車の写真撮影を始めた頃、私の住む近辺ではもうC50は稼働していなかった。いや、稼働しているものもあったかも知れないが、私自身のカメラに収めたものは亀山機関区(三重県)の片隅にナンバーを外された状態で赤さびが浮いているC50154号機のみである。(それも後部から捉えたたった一枚のモノクロ写真) その少し前に鉄道100年記念行事のひとつであろうか奈良運転所の一般公開がなされ、友人数人とノリのまま出向いた事があったが、まともな写真は何故か一枚も残っていない。後、友人の撮影したものの中にC50109号機の姿があった。
私の中ではC50という機関車は何故か陰に隠れており、同じ関西本線近辺で活躍しているD51やC57等の華やかな存在に心奪われ、この珍しい経緯を持った魅力的な機関車の存在に大きな関心が当時無かったのかも知れない。
ただ、記憶があいまいだが・・このたった一枚の亀山で捉えたC50154号機のロッドには緑色が入れられていた?というかすかな記憶が残っている。何故覚えているかというと・・当時亀山機関区にいたC57198号機のナンバーが緑色に着色されており、自分なりに緑色は本来、亀山機関区蒸機の特徴??などと勝手にこのとき推察して印象に残ったからである。 それ以外の蒸機は全てナンバーは黒でロッドは赤が入れられていたから尚更かもしれない。