C53形式  C53は機関車技術の研究として大正末年に米国から輸入したC52を参考にして、昭和3年に誕生した。設計はC51の高速性能とD50の出力性能を組み合わせて3シリンダ等の新機構はC52の使用実績を基礎としている。整備保守に苦労して短命の理由となった3シリンダにした訳は当時、諸外国の新鋭機に基づいたものである。C53は3年間に97輌新製され、東海道・山陽線に投入され、旅客列車の主力機として活躍した。後継機のC59に順次主役を譲るまで、東は沼津から西は下関まで軽快な3シリンダ特有の軽快なドラフト音を轟かせて日夜快走した。 超特急「つばめ」の」牽引機としても活躍したが、戦後間もなく昭和25年に全機その姿を消した。



C5345号機  昭和25年にC53は全機廃車されたが、そのうちの1輌のC53が教習用に残されていた。それが45号機であり、昭和37年の鉄道90周年記念に復元され久しぶりに東海道にリズミカルなドラフト音を響かせた。その後、「大阪鉄道科学館」に静態保存されていたが、京都の梅小路蒸気機関車館開館により昭和47年に同地に移転。現在に至っている。



モデルはマイクロエースC5345号機を使用してディテールアップを図った。 元モデルは車高が高く、前デッキの傾斜角度も少し甘かったため、ダイキャストを1,5㎜ほど削り、尚且つボディーのバランスを整えるためボイラー部とランボードを切り離し、削って修正。前デッキも切り離して角度を修正した。キャブも下部を切り詰め、尚且つテンダーも底部を切り離して修正後、再接着している。 モーターは大きく、キャブからはみ出すので、今回は小型の「アルモーター」に換装してみた。実機写真を見ながら各部をディテールアップしている。ナンバープレートは銀河モデルものに交換。煙室戸ハンドルはタヴァサモデルのものを使用している。梅小路保存機に準ずるように加工してみた。
公式側。煙室周りの取っ手は真鍮線で自作。架線注意板もプリンタにて自作。いかにも静態保存機という感じでやや艶有の塗装とした。
非公式側。蒸気機関車というのは近くで見ると大体このような角度に見えるのではないだろうか。動輪だけで1750mmもあるのだから如何に大きいのかがわかる。普段Nゲージの大きさだとどうしても鳥瞰的に見ている訳だが。小型のC12に至っても現物を近くで見ると意外に大きく感じる。


モデル製作H25年5月


  

  

  

  


●製作途中写真

ダイキャストはこのように削り、モーターも換装。マイクロエース蒸機はシンプルな構造故に、加工はしやすい。ただ仕方無いのでしょうが、もう少しプロポーションの統一が欲しい・・・。

  


               

結構面倒な加工が必要となる。別に気にならなければ何て事は無いのですが、じーと見ていると??? この個体は初期発売されたときに購入したものですが、数年後にダイカストが崩壊し、メーカーに修理してもらったもの。


●実機写真  モノクロの2枚はJE2DLM様のHPより借用しました。1枚目は国鉄吹田鉄道教習所1956年・2枚目は交通科学館1964年撮影。3枚目は京都鉄道博物館にて管理人撮影。

  



私はC53という機関車について殆ど知識が無いのです。梅小路蒸気機関車館開館時に見たのが最初であり、大型だけど随分古典的な印象の機関車というイメージ。その前のターンテーブルの上には当時まだ火が入っているC551号機やD511号機、9633号機等がC622号機に負けずと構内運転を行っていた時でもあり、ラウンドハウスの定位置に並べられた静態のC5345号機は自分なりに地味に見えたものでした。往年の活躍していた昔日の頃を知っておられる諸先輩には申し訳ないですが・・・。



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